業務日誌

2004/11/20 Sat 「久々に静岡」

私は自由と平等を愛する人間なので今週は静岡へ行きます。というのは、先週訪問したのはサークルの浜松班だったので、静岡班にも顔を出しておかないとアンフェアですから。キャンパスが分散している大学というのは珍しくもありませんが、静岡市と浜松市という静岡県内因縁対決都市にそれぞれの拠点が位置しているとさすがに気をつかいます。いや、それほどのことでもありませんが。

昼過ぎに起きて、東名高速で東京→清水。厚木まではいつもの渋滞で往生。その先からはけっこうガラガラ。心情的には第二東名推進派ですが、結局一番混んでいる東京都心−厚木の間にも新しい高規格幹線道路ができないと、静岡県内だけ先行開通しても超ガラガラなのでしょうな。といっても国道246号周辺に土地なんて残っていないわけで、じゃあ全線大深度地下とか、地底マニア的には嬉しくても財政が破綻しそうな計画しか無理なのか

なんてことを考えているうちに清水に到着。さぁぶっ飛ばして早いとこ着こうと思って太平洋岸の道路に出たら、静岡名物の軽トラックがノロノロ運転をしておりちっとも前に進めません。これじゃ大学に着く前に日が暮れてしまいますよ。一応日が暮れる前には着いたのですがボヤボヤしているとほんとに暮れてしまいそうなので、サークルの面々に会う前に周辺散策を開始。

1999年の第三葵荘 2004年の同じ場所
1999年撮影 2004年撮影

2001年4月に解体された第三葵荘も、その後しばらくして普通のワンルームアパートとして生まれ変わっています(2002年には左写真の建物になっていたことを確認)。目の前で見ているときは「すっかり変わってしまったな」と思っていたものですが、こうして写真で比べてみると母屋の部分は意外にもほぼ同じ形だったりして、骨組みまで全部ばらしてしまったわりにはわざわざ似せた形になっているところがほほえましいです。ちなみにいま自動車が止まっているところは昔は共用風呂だった場所です。

第五葵荘跡地その先に進んでいくと、葵荘シリーズの中で最後まで残っていたはずの第五葵荘がつぶれて普通の民家になろうとしていました(大学生協の不動産情報ではなぜか残っていますが)。ちなみに葵荘シリーズのうちこの第五だけが男子禁制の女の園でした。第一葵荘(正確には単に 葵荘 )は私が静岡へやってきたときすでにもぬけの殻でまもなく取り壊されて駐車場に、第二葵荘もやはり取り壊されてワンルームアパートに、比較的状態の良い第三葵荘第五葵荘は残っていたのですがそれぞれ2001年、2004年に終了と相成った格好です。ちなみに縁起を担いだのか第四葵荘は存在しません。

8本槍アンテナそのほかのトピックとしてはPHSの8本槍アンテナを見つけたくらいでしょうか。まだ東京でもめずらしいものが日本平の山のふもとにあるなんて。

CUE-FM放送研究会活動風景(静岡)サークルの番組は素直に感心しました。良くも悪くもローカルネタとか内輪ウケとかが割とベースとなっている放送サークルなのですが、年々それだけではない何か、なんというか、私の言葉で言うところの「高次の笑い」のようなものが感じられるようになってきてけっこうグッとくるところが多かったです。社交辞令でなく本気で「この調子でがんばってくれ」と言いたくなる放送で、よくやってくれていると思いました。あとは、みんな仲良く、というくらいしか言うことはない感じです。何を偉そうに。

放送終了後、みんなで夢庵静岡池田店へ行って夕飯。若者たちは昨夜徹夜で番組を作っていたりして死亡気味。毎年おなじみの光景で懐かしいものです。解散後、話題のスーパーもちづき曲金店でおみやげとしてみかんを購入してから国道1号を東へ走り、富士ICから東京ICまで高速で一気に帰還。深夜だったこともありますがやはり高速はガラガラ。霧の足柄を疾走。

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